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染織の城地しげ子さん、造形の和田仁氏、イラストレーターのクマガイユキさん、「イルク」デザインの故福島秋生氏のご協力があり、三つ折のポストカードサイズの小さな冊子を、1999年から2007年までの8年間、手作業で各300部ずつ発行することができました。 インターネットの時代にあえてこのようなことが皆様に喜んでいただき好評であったのは、協力頂いた方々との楽しい作業の賜物と感謝しております。 すべてをお伝えすることができませんが、その内容の一部をご紹介いたします。

 

 

WORK NOTE 1 vol.1より(1999年発行)

イスラムタイルに思う事

武田武人

トルコのコンヤでモザイク・タイルの破片群を見た時、「あっ、これだ」と思った。 ルーブルのイスラム室では、イランのタイルは他の国々のものと比べて格別であった。力強く、明解で、単純でいて味わいがある。文字文様のタイル等は自由でさえあった。そんな大いなる期待を持って、この春そのイランを訪れることが出来た。 それで、どうだったかというと、いわゆるペルシャ絨毯のようであった。 精緻なアラベスク文様(唐草文等の植物文様)で、殆ど欠損していない状態で見たものが多かった。建築としての全体的な形や構造は単純で大きい。イーワン(門)や玉葱型のドーム、対になった尖塔のミナレット等に施されたタイル群を前にすると何やらぼーっとしてきて集中力がそがれてくる。 何だかわからないけど、パッと見るとペルシャ絨毯の模様がチラチラして細く、その構成、配色や細部の観察の楽しみを許さないようなものがある。量塊で圧倒するというのではない。細部の夥しい集積で眩惑させるとでもいうのだろうか。気候とか温度によっても影響されるのかもしれない。宗教空間としての効果が意図されているのか。一般住宅や公共建築もあるからそうともいいきれないが。
ところで、今迄その幾何学的な構成は純粋に成立していて、ゆるぎのないものと思っていた。例えば星形に接する正多角形は正五角形のみと思っていたが、純正であければ五角形に接する六角星、或いは七角、八角星もあったりして、ドームの三次曲面に構成する結果としても、純正でなく有り得るのだということを知って、一寸びっくりした。五角形は正五角形だけではないという考えてみればあたりまえの事だ。しかしその構成する材料は広がったけれど、幾何学の構成(たとえば五角形の組み合わせ方)は果たして有限なのか否か。目下その辺のところでも悩んでいるところである。

TAKEHITO TAKEDA 1944年生 東京芸術大学陶芸科大学院卒 南伊豆在住
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WORK NOTE 5 vol.6より(2002年発行)

川崎毅

1950年の秋も終るころ、ツヤブキの黄色い花に、弱々しく蜂蜜が歩いているころ、4.5人の子供達が、ポケットに10個ほどのビー玉をカチカチいわせ口うるさい大人のいない、だれだかの裏庭に集まり、銀杏の落葉なぞを掃きとばし、古釘で地面に線をひき、取られても惜しくない玉を、ゲームにくわわる代として置き、ガラス玉のゲームが始まる。上手な者、相撲は強いのだけれど下手な三年生、いつも反則スレスレの奴、本日もカモになる子。見るだけの小さな子もやってくる。
雨に日以外は毎日、丈帚で掃かれ、小石一つ無い、ひんやりとしてかた地面を、ビー玉はツッと転がり、二日間ほど先の小さな玉を正確にはじく。
カチとカラス玉がぶつかる音が響き、子供達は声を低くして、熱心に遊ぶ。
我がものにした玉を、時々、明るい方にかざして見たりして、空気が冷たくなり、あたりが薄暗くなるまで。
ほくほくして帰る子、いまいましい気分で走って帰る子、又、買ってもらえばいいとのんきな子、数は減ったけれど気に入ったのが一個、手に入った子。
直径1cmほどのガラス玉をめぐっての、そんな熱中を、本年八才の少年に伝えようとして、ビー玉の青さ、緑の輝き、色玉の内の小さな炎のような赤について、あるいはまた、透明な白っぽい玉の細かい泡のことを、あれこれ説明してみても、その内のどの玉が欲しいか、ときかれれば、1995年生まれの少年は当惑するばかりであろう。
1950年に、多くの要素がからまりあい、立体的な蜘蛛の巣のようになって成り立ち、形をなしていた少年達の熱は、ほんの一つの要素をなくしただけで、全体の結び目の力を失い、どこかを別のもので支えたり、ある所をひいてみたりしても、二度と立ち上がることはない。
遊びの輝きは、奇妙な偶然の衝突と、好運な組合せの奇跡的な生きものだから。
児童心理学者、カウンセラー、ものわかりのいい大人達が、いくら言葉をつくしてみても、熱を失った遊びは、再び子供達をひきつけることはない。

TSUYOSHI KAWASAKI
1942年 宮崎県生まれ   1968年 東京芸術大学陶芸専攻大学院修了
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WORK NOTE 6 vol.7より(2002年発行)

草文化を受け継ぐ 〜誰もがしてたこと〜

矢谷左知子

おそらく人類は、おさるだった(としたら。宇宙から来た説もありますが。)頃から手を伸ばしたところにある草や木でいろんなものをつくってきたでしょう。
インドネシアの熱帯雨林で森の人、オランウータンが木の葉っぱで寝床をつくったり、頭にのせて雨をよけたりしているのを映像でみたことがあります。
それと同じように、身のまわりに生えている、歩いて採れる範囲の草で、あたりまえのように何かつくってみようか、とある日
これらの草たちに出会った私は思ってしまいました。

そこにあるもの、をいただいてつくる。
あるだけのもので済ます。
それをしてみたかったのです。

誰に聞くことなく。やればわかる、と無鉄砲にはじめました。
草が教えてくれる、何千年の土地の記憶がわからせてくれる、そう思って。森の人だった頃もしていたように。

野生の草を素材に草の布を織っています。
麻、葛、やぶまお、いらくさ。
10年前に始めた頃は盛大に生えていましたが、その生命力の強さゆえに憎まれっ子であり、この数年は特に徹底的な駆除作戦で見つけることが困難になってきました。
毎年わずか数本刈り残された麻を採るために
沢に崖を滑り降りたり、よじ登ったりのえらいめをしています。

大変不安定な素材確保です。
当然、糸は万年不足しています。
でも自然のものと向き合うというのはもともとそういうもの…

栽培をすすめられます。でもしない。そこまでしてどうして?

自分の手をまったく離れた所で遣っている自然界のものと毎年季節が来るごとにあらたに出会い
そういうものを材料として採らせてもらうことは
なぜかわけもなくワクワクする感覚を私にもたらします。
周囲の自然に作業をゆだねることに安寧感とすとんと納得できる心地があります。

なによりもそうして獲た草の糸に宿る野生の繊細な力こそがわたしに布を織らせてくれるのです。
この星に生まれたものが気がついたら自然にやっていたこと、そうしたあたりまえの営みを受け継ぐという感覚、がじぶんの中でいつのまにか意識されるようになっています。
誰からだれへ継ぐ、ということではなく…
太古の彼方から、これより拡がるその先へー

その途上でぷらぷらと制作しています。

SACHIKO YATANI

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SO WHAT 1 vol.7より(2002年発行)

和田仁

急な階段を登りつめた一番見晴らしのよい所に、この四月に他界した雨宮民さんのお墓がある。立秋を過ぎたとはいえ、まだ最高気温を更新中の八月、僕達はそこへ行った。お参りをすませて、寺の境内まで降りると、パラダイスがあった。ムクロジやカエデの大木が作る木陰はかりかりの陽射しをさえぎって、吹きぬける風が心地良い。そこで、四人のパーティーは始まった。お手製の茹でたチキンとコーン、蛸と夏野菜のラタトゥイユ、おいしいワイン、デザートの梨、真夏のピクニック向きに料理は程よく冷やされていた。「来てくれたのー」ちょっと語尾を伸ばす親し気な声を聞いたような気がした。少女のようにときめく事が好きで、楽しむ事が上手だった民さんは、このパーティーも一緒に楽しんでくれてるに違いない。

以前、民さんに頂いたグレン・グールドによるブラームスの間奏曲集をあらためて聴きなおしている。優しく語りかけるような演奏にほっとしながら、グールドがお気に入りだったなと思い出した。きっと民さんは、庭のもみの木を望む大きな窓のある居間で、グールドを聴きながらときめいていたのだろうだなあ。

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vol.11より(2004年発行)

種蒔く人

森美枝子

「大地を耕すようにゆっくりとめげずに意志を持って前に進む、疲れたら休む。それがいいと思う。」ある陶芸家の言葉に私もギャラリーの日々がこんな風であったらいいなあと思い、年の始めの挨拶としました。自分の中からあふれて来たものを確信を持った作業として耕した土地に種を蒔く。絵画、陶芸、染織、音楽、いろいろな種を。その上を常に新しい風も吹いてさまざまな花が咲き、樹々が育ち、収穫の時をむかえる。多くの人達の心に手にへと渡りあらたに耕された土地にまた種を蒔いていく…という循環していく時間の流れとつながりの場であり役割のギャラリーになれればと思うのだが。

今、街のギャラリーは面白いだろうか。情報量の多さに流されずほんとうの意味でのクリエイティブな仕事となるよう自分の中の「確信」に磨きをかけめげずに進んでいきたい。一人よがりの「確信」かもしれないけれど、この「確信」を手放すわけにはいかないのです。

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WORK NOTE 10 vol.11より(2004年発行)

器に宿る風景

市岡泰

古着のジーパン。
最近はもうはかないけれど、くたっとしたよれた感じが好きだった。藍で染められたそれは、はき込むほどに美しく色落ちをして、ぼろぼろになるまで愛用していた。素材の持っている質感、年月と共に美しくなるもの。なんでやきものなのだろうと考えた時、その辺が原点みたいだ。
大学の卒業制作で、彫刻と陶芸のどちらを専攻するか迷った。その時考えたこと。器から用途を取ってしまうと、形だけになってしまう。なんだ、彫刻と一緒だな。だったら、目で見て楽しめて、手に取って使える器のほうが楽しそうだなと。それ以来、作るものはもっぱら器。
ブランクはあったけれど、早いもので陶芸を始めて10年が経つ。むらのある白、すぐよごれてしまうけれど、ジーパンみたいに育っていく白化粧の器が好きで、陶芸を始めた頃から作り続けている。同じ白化粧の器でも、素地の粘土、化粧掛けの方法、そのタイミング、加飾法、釉薬の種類、窯の焚き方によって、様々な表情や質感を見せてくれる。
制作工程を見直して、一つ一つテストしていく。
三歩進んで二歩さがる。一歩も進まないときも多いけれど。
人間は。1年経つと、見た目は同じでも、9割の細胞が新しいものに入れ替わるそうだ。
私の器も少しずつ変わっていくといいな。
ふとした風景に懐かしさを感じたりする。さびた鉄や雨ざらしの木材、苔むしたコンクリートや剥げたペンキ、山で感じる風、人との出会いや別れ…。そんな時に感じる「なにか」。そんな「なにか」器に宿ること。それが今後の目標。
さぁ、いよいよ初個展。意気込んで、新しい型や釉薬を作り、レンガを積ん小さな窯を築き、近所の土を採集してみた。けれど、直前になってほとんど放りだしてしまった…。やっぱり急には変われない。慣れ親しんだ方法で作品を作り始める。ちょっとずつの変化を期待して…。
今回、森さんの御厚意によりスタートとして最高の場を準備して頂きました。本当に感謝!

YASUSHI ICHIOKA
1970年生まれ 宮城教育大学美術科卒業 同大学院修了
金沢卯辰山工房修了 宮城県南郷町在住